『 ガツン 』 と 衝撃的な絵本に出会ってしまいました。
曇りのない目で見たことを
生まれたままの心で語っている、
実話のお話。
今から約90年前
1915年頃 ( 第一次世界大戦の頃 ) の記録。
サモア島という南の島の酋長が
ヨーロッパを旅して帰り、その様子を島の人々に報告。
その記録を 酋長と親交があった、詩人エーリッヒ・ショイルマンが翻訳し
1920年にスイスで出版された本、パパラギ。
その本を、絵本にそしたものが、 この絵本 『 パパラギ 』 です。
90年前の報告ですが
内容は古くなっていないどころか、
今の私達には ますます必要なメッセージに
驚きを隠せませんでした。
パパラギとは ヨーロッパ人(先進国、日本を含めて私達)を指しています。
90ページある絵本の1部を抜粋してみました。
ハッとさせられます。
良かったらどうぞ。
↓ ↓ ↓
パパラギは、行く先々で自然の大きな力が作ったものを壊してしまった後、
壊したものを自分の力で生き返らせようとしているのだ。
たくさんの物を作ったので、自分が神様になったと思い込んでしまった。
丸い金属と 強い紙。 彼らが お金 と呼んでいるもの。
これがパパラギの神様だ。
パパラギの世界では、人の重さをはかるのは、
気高さや 勇気や 心の輝きではなく、
1日にどれくらいお金をつくるか。
どれくらいお金を箱にしまっているかだ。
私達には 『 ラウ』 という言葉がある。
『 私の 』 という意味であり、『 あなたの 』 という意味でもある。
2つは ほとんど、1つである。
だが、パパラギの言葉では 『私の』 と 『あなとの』 は大きくちがうのだ。
パパラギは時間のことで騒ぎ、時間についてしゃべる。
日が出て 日が沈む。 それで十分なのに満足しない。
パパラギは時間に満足しないで、神様に不平を言う。
「どうしてもっと 時間をくれないのです?」
かしこいサモアの人なら、暖かい光の中で、
手足を伸ばし、何も考えない。
手や足や腹や、体全体で光を楽しむ。
頭で考えるのではなく、肌や手足に感じさせる。
ほかの人々より豊かになりたいという欲や、
意味のないたくさんのことや、
やたらに物を作ることや、
なんにもならない知識など、
そういうガラクタを持って私に近づくな。
そんなものは私達に必要がない。
私達は、自然な大きな力から たっぷりといただいた 美しい喜びで、
じゅうぶん満ちている。
自然の大きな力は、私達が迷わないように光で道を照らしてくれる。
自然な大きな力が照らす光。
それは愛し合う心。
あいさつをいっぱい、たくわえた心のことである。